性善説 | 琉球娘のココロ・カラダ喜ぶろぐ

性善説

先日、車の運転免許証の更新に行ってきました車

五年振りの運転免許証は、本籍地が記載されないで、ICチップ化されていたり、裏面が、移植提供の同意書になっていたりと、それなりに進化していましたニコニコ

運転免許証を取得してから、20年間、免許証は身分証明書がわりになっていたのですが、昨年、21年目にして、やっと運転免許証の本来の役割を果たす様になりましたラブラブ!

21年ぶりの運転は「鍵、どうやってさすんだっけはてなマーク」のレベルから始まり、
エンジンをかけるだけでドキドキものビックリマーク

そして、何とも恐ろしいのが…
対向車車
「来ないでぇーしょぼん」と祈りながら練習していましたビックリマーク

しかしながら、慣れとは素晴らしいもので、今では、毎日、保育園の送迎で使用するくらい、快適にカーライフを楽しんでいます車

っと、21年ぶりのペーパードライバーからの脱出に嬉しくて、色々と書いてしまいましたが、
今日言いたいのが「性善説」のお話しニコニコ

これは、ペーパードライバーを脱出してから気が付いたのですが…

歩行者や、車を運転している人々が、思いっきり「信頼し切ってる」という感じがして、最初は怖いくらいでしたビックリマーク

こんな未熟な私を信頼してくれて、大丈夫かなぁー…とか

でも、確かに自分も歩行者の時は、思いっきり信頼していたかも…はてなマーク…とか

車は、ある意味、凶器ともなるという事を考えると、あまりにも、皆(自分も含めて)、車が避けてくれるだろうという「信頼」が前提にある事をに驚きと、

人の本性は「善」であるドキドキ
と再確認した感じですビックリマーク



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